80周年のご挨拶 GREETING

一日一日の積み重ねが歴史であり、
未来を築く

金属ボタンなどを製造する「倉田金属工業所」が大阪府大阪市生野区中川(当時は東成郡中川村)にて産声を上げ、やがて法人として改組(旧社名、東亜金属工業株式会社)した昭和16年(1941年)から起算して、当社はこのたび創立80周年を迎える事となりました。僅かに残された当時の記録を紐解きつつ、先代社長を務めた父や叔父、祖父から聞いた話を思い返してみると、これまで幾多の困難に直面しつつも見事に乗り越え、さらなる飛躍を遂げる事ができたのは、ひとえに関係各社の皆様また社員一人ひとりの尽力があってこその賜物であり、心から感謝申し上げます。
近年においては国内外にかかわらず変化のスピードは速く、さらに激しさを増しています。まさに時代の荒波ともいえるこれらの変化に対応するために私たちができる事は何か。この問いに対する答えとして当社の80年にわたる歴史が示すのは「一日一日の積み重ねを大切にする」事ではないかと考えています。
当社があらゆる困難を乗り越え、晴れて80年の佳節を迎えられたのは、一貫して取引を続けてくださった関係各社、そして社員一人ひとりが積み重ねた日々の功績であり、努力からの成果であります。そしてこれからの未来も、変わらぬ誠実な姿勢で日々を積み重ね、90周年また100周年にはさらに多くの皆様と歓びをわかちあえる企業でありたいと思います。
皆様におかれましては、今後ともより一層のご愛顧を衷心よりお願い申し上げます。



2020年(令和2年)9月

代表取締役社長
倉田 雅史

トーアの歩み HISTORY

1927-
1940

ベルトなどの金属製付属品で業界を先駆。
腕時計尾錠では国内シェア90%に

創業当初、当社は木造2階建で延べ床面積が200坪ほどの工場にて、金属ボタンや婦人用の金属ベルト、腕輪、洋家具の付属品などの生産からスタートしました。つづいてプラスチック樹脂を用いたボタン、飾り金具の生産を着手。さらには腕時計バンドの尾錠を一貫作業で生産できる整備を整備し、同製品で国内シェア90%を占有するに至りました。

1927年
大阪市生野区中川町に倉田金属工業所を設立

1941-
1959

戦災を乗り越えて事業再開へ。
自社開発バックルの単独流通がスタート

1941年には法人改組を行い、前社名である東亜金属工業株式会社を設立。いよいよの気概で事業に邁進していくことになりました。しかしながら、当時の日本は戦況悪化の一途をたどり、やがて当社工場にも疎開命令が下されました。これにより一時は操業停止となりましたが、終戦後はすぐに尾錠の生産を再開。この逆境をバネにして新商品が次々に誕生、その一つが当社発展の礎を築いたベルト用バックルだったのです。

1941年
組織を法人に変更、 東亜金属工業株式会社と改名

1945年
終戦のため、従来の金属装飾品、ベルト用バックル、尾錠を主力とする

1960-
1979

旺盛な設備投資を背景に記念品企画など業容拡大、
台湾に合弁会社設立も

1960年代は、国内景気にも後押しされて売上を伸長。そこで当社は、未来を展望し積極的な設備投資を行いました。これが奏功し、顧客ニーズに応える形で取り扱い品目が拡大。なかでも販促・記念品の企画製造販売については、大手家電メーカーからの依頼を受け、当社の巧みな技術力を生かす形で一つ一つの商品を提供していくことになりました。また1973年には台湾に桂田金属股份有限公司を設立、これは当社の海外進出における第一歩となりました。



1961年
事業発展の一途をたどり、大阪市生野区巽北に移転

1973年
台湾に合弁企業「桂田金属股 有限公司」設立

1980-
1999

創立50周年を迎え、海外拠点が次々に誕生。
遊技業向け製品も好調

1982年にはパチンコブームが到来する中、景品が品不足という事態に陥ったことを受け、顧客側からの依頼を受ける形で各種製品を企画。その後も度々発注があり、当社事業を押し上げました。また、台湾につづき香港に東亜服飾有限公司、中国・広東省に番禺楽信皮具有限公司をそれぞれ設立し、海外生産システムが本格的に動き出しました。そうした中で当社は創立50周年の佳節を全社員で迎え、次なる目標への船出を開始しました。

1988年
東亜金属工業株式会社を株式会社トーアと改名

1991年
創立50周年記念 北海道旅行

1995年
香港に東亜服飾有限公司設立

1996年
中国広東省に東亜五金有限公司、番禺楽信皮具有限公司設立

2000-

広東省に一大生産拠点が完成。
多様なニーズを捉え、世界が評するメーカーに

2000年以降は業種を超えて経済のグローバル化が進展し、顧客ニーズも多様化を見せています。当社ではこれらに対応するべく、2009年には従来の生産拠点を吸収統合し、広州都亜皮具制品有限公司を設立。さらに近年では海外物流リスクに備えた国内拠点の再整備など、現在また未来を展望した取り組みも進めています。これまで数々のヒットを生み出してきた製品企画・開発力を生かし、当社はこれからもお客様のために奔走しつづけます。

2009年
広州都亜皮具制品有限公司設立、東亜五金有限公司及び番禺楽信皮具有限公司を吸収統合

2011年
本社を大阪府八尾市に移転